式、四季、屍鬼
個人的ベストタッグなフジリュー&小野主上の屍鬼が発売されたんで感想をひとつ。
もちろんネタバレ適当アリアリで。
現在の所、小説のコミカライズという点で、フジリューは完璧な仕事をしているんですよ。
原作で描かれた田舎の隣人の素朴な悪意。エゴと偽善が入り混じった閉鎖社会の雰囲気。小野不由美のおどろおどろしいがちょっとまどろっこしい書体を、藤崎竜の適度に壊れたイカレ具合で引き締める。
パーフェクトだ、ウォルター。完璧な仕事とはこういうものをいうのだ。
まぁ一番褒めたいのは小説家兼住職の人のキラキラ瞳と、彼が尖らせた人間を殺せそうな鉛筆なんですけどね。
さて、現状完璧な仕事をなされているフジリューに我々読者が期待するものとは何か?
そう“ぶっちゃけ”です。
原作ブレイカー藤崎竜に期待するものとは積み上げてきたものをクライマックスでぶち壊すことに他ならない。封神演技?すべて破壊しろ。虫唾が走る。我々歪んだ読者は大好きな原作がファックされるときなど絶頂すら覚えるのだよ。
原作の住職と吸血鬼の女の子が死に囲まれた村で、生きることについて語り明かす夜も好きなんですけどね。
でもあれだけ村人のキャラが立っているのだから、死人が食い合う時にはエゴと自己愛が詰まったしょうもない罵倒をしつつ殺しあって欲しいものですよ。『あたしはあんたで毎日×××してたのよ!』とか。
藤咲竜二:『くっそ〜。いつか寝首かいてやるんだからな!』